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録音と放送で三味線はどう広まった?

録音は、三味線の演奏をその場にいなかった人も繰り返し聴ける形で残しました。放送は、演奏会場やスタジオの音を、離れた場所で受け取る道を作りました。さらにテレビでは、音に加えて演奏者の姿や暮らしも紹介されます。三味線が広まる過程では、届ける範囲だけでなく、どの部分を、どのような形で聴くかも変わりました。

その変化は、「録音の年」と「レコード発売の年」、「初回放送」と「再放送」を分けると追いやすくなります。長唄の古い音盤と放送番組を例に、資料に残った年代をたどってみましょう。

1900年代には三味線音楽が音盤に記録されていた

国立国会図書館月報の音源保存に関する解説は、1900年に渡欧中の川上音二郎一座が、英国グラモフォン社で長唄などを録音したことを紹介しています。1903年には、同社の技師ガイズバーグが日本へ出張して録音し、長唄、義太夫、常磐津、清元、小唄など、多様な芸能を音盤に収めました。

三味線音楽は、一つの分野だけが録音されたわけではありません。唄を中心にする音楽も、物語を語る音楽も記録の対象になっています。音盤を探すときも「三味線」という楽器名だけでなく、長唄や清元といった種目名、曲名、演奏者名を合わせて見ると、求める資料を区別できます。

SP盤では長い曲をいくつかの部分として聴く

当時のSPレコードは、10インチ盤なら片面に約3分を収めるものでした。長い曲の一部を録音したものや、番号を付けて分けた資料が残っています。音源の一つのファイルが数分で終わっても、元の作品全体がその長さだったとは限りません。

たとえば、国立国会図書館の「岸の柳(四)寄せては返す」は、ビクターの1929年7月刊、発売番号50830、収録時間2分43秒です。三味線には杵屋六三郎と杵屋六之助の名があります。「四」という部分番号と、歌い出しの言葉が付くため、同名曲のどこに当たる記録かを探す手がかりになります。

コロムビアの「雛鶴三番叟(三)」は、1931年12月刊、発売番号35239、3分12秒と記録されています。松永和風、三味線の杵屋五三郎・杵屋勝丸、鳴物の望月梅屋社中という演奏者情報も残ります。盤を調べることは、曲名だけでなく、唄・三味線・囃子を担当した人の組み合わせを知ることにもつながります。

ここでの年月は、目録にある出版年月です。録音した日や、その曲が初めて作られた年ではありません。また、収録時間だけでは、曲をどこで区切ったのか、どの部分を省いたのかまでは分かりません。そこを調べるには、続く盤や曲の詞章も合わせて確かめる必要があります。

1925年のラジオは演奏者のいる場所から音を届けた

東京のラジオ放送は1925年3月22日、芝浦の仮放送所から始まりました。NHK放送博物館の川村誠による資料解説では、初期の音楽は生演奏が基本だったことが説明されています。7月には愛宕山の局舎に邦楽用、洋楽用、講演用の演奏室が設けられ、7月12日から放送を始めました。

レコードを再生することと、放送時間に合わせて演奏することは、異なる仕事です。初期のラジオには、演奏者が放送のために集まる場所が必要でした。聴き手は会場へ行かずに音を受け取れるようになりますが、受信機も必要です。放送開始を、全国の家庭が一斉に聴けるようになった日と考えることはできません。

同じ時期、演奏会も続いていました。1925年7月に設立された長唄協会は、翌1926年2月25・26日に歌舞伎座で第1回演奏会を開いています。会場で聴く道に、音盤や放送で聴く道が加わったと考えると、近代の広がりを捉えやすくなります。

1934年には放送のための交響長唄楽も生まれる

放送は、すでにある演奏を遠くへ運ぶだけでなく、新しい音楽を試す場にもなりました。1934年3月28日には、山田耕筰の編曲・指揮による交響長唄楽「吾妻八景」と「越後獅子」が放送されています。長唄の吉住小三蔵、三味線の稀音家六治らと、オーケストラを組み合わせた試みです。

NHK交響楽団の機関誌に掲載された西村理の研究解説は、放送では音量を調整して和楽器と洋楽器の釣り合いを取れる点に注目しています。ただし、当時の批評には放送の音の釣り合いへの不満もありました。組み合わせを思いつけば完成したのではなく、放送でどう聞こえるかを試す必要があったのです。

この例からは、三味線の音楽を広める仕事に、演奏と作曲だけでなく、音を調整して届ける仕事も加わったことが分かります。聴き手が受信機から耳にする音は、会場で聴く条件と同一ではありません。

長時間録音は曲の収め方を変える

1930年代後半には、30分以上の録音ができるフィルモン音帯が開発されました。円盤ではなく、セルロイドの帯に溝を刻んだ媒体です。長唄や浄瑠璃を、短いSP盤とは違う長さで収める道が開かれました。日本フィルモンは1937年に設立されましたが、1940年に解散し、生産は短期間で終わります。

国立国会図書館の所蔵例には、松永和風の唄と杵屋五三郎らの三絃による「長唄・越後獅子」があります。請求記号はYMJ-6です。長時間の録音が可能になったという技術の変化と、その媒体が長く使われたかどうかは、別に考える必要があります。

テレビは演奏する人や土地も紹介する

1971年1月23日、NHKは「ある人生 津軽の糸」を放送しました。放送ライブラリーの番組記録は、高橋竹山の芸や人物像、津軽の風土を取り上げた30分番組として紹介しています。資料番号は013995です。曲だけを届ける方法に、演奏者がどのように生き、どんな土地に関わったかを伝える方法が加わった例です。

ただし、一つの番組がどれほどの人に届き、演奏会の観客や学ぶ人をどれだけ増やしたかは、番組の存在だけでは測れません。放送を三味線の広がりを支えた一つの道として捉え、特定の放送だけが人気を作ったとは決めつけないことが大切です。

過去の録音は新しい番組にも組み込まれる

青森放送のラジオ番組「故郷の空に」は、高橋竹山が日記代わりに残したカセットや、家族へ民謡を教えたときの録音を、証言や催しの音と組み合わせました。放送ライブラリーの概要に記された初回放送は2010年9月19日です。過去の録音を新たな取材と合わせ、演奏者を伝え直す番組になっています。

同じページの放送日時欄は2010年11月28日、保存番組の時間は43分です。初回放送の日付、登録された放送枠、保存された番組の長さを見分けると、再放送を初演と取り違えずに済みます。録音の歴史は、録った日だけで終わらず、保存して再び使う過程にも続いています。

今聴ける資料は公開範囲と保存の履歴も確かめる

「雛鶴三番叟(三)」は、確認時点でインターネット公開の資料です。一方、「岸の柳(四)」は国立国会図書館内限定公開で、歴史的音源の配信対象にもなっています。資料情報がウェブで読めても、音源を自宅で再生できるとは限りません。利用できる場所は、個別の公開範囲を確かめてください。

フィルモンの例では、1971年ごろにオープンリールへ移した録音を、さらにデジタル化して公開しています。媒体が残ることと、再生できる状態で残ることにも違いがあります。音の記録を読むときは、当時の媒体、後年の変換、現在の公開方法を合わせて見ると理解が深まります。

三味線音楽は、演奏会場から音盤へ、放送の演奏室へ、テレビの人物紹介へと、異なる形で届けられてきました。録音で同じ演奏を聴き返せること、放送で遠くへ伝えられること、残された音を後の時代に聴けること。それぞれの働きが、演奏の場と並んで三味線への入口を増やしてきたのです。

参考にした資料

国立国会図書館月報606号 SP盤のデジタル化

国立国会図書館 フィルモン

国立国会図書館 岸の柳(四)寄せては返す

国立国会図書館 長唄 雛鶴三番叟(三)

川村誠 「いつも音楽があった」ラジオと音楽・100年の軌跡

長唄協会 長唄協会の歩み

NHK交響楽団 フィルハーモニー2026年6月号

放送ライブラリー ある人生 津軽の糸

放送ライブラリー 故郷の空に

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