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三味線の歴史年表|楽器と音楽はどう変わった?

三味線の歴史は、楽器が伝わってきた後も続きます。座敷で歌う音楽、人形芝居や歌舞伎の音楽、民謡に伴う演奏が育ち、近現代には独奏や新作の合奏も広がりました。演奏する場所と音楽の役割が変わるたびに、楽器の使い方も多様になっていきます。

この年表では、本土への伝来後を中心に、演奏の場、音楽、楽器の変化をたどります。刊行や開場のように年を示せる出来事と、長い時間をかけた変化は分けて記しました。「この年に今の形が完成した」という意味ではありません。

16世紀ごろ 本土に伝わり歌や語りと結びつく

琉球から本土へ伝わった楽器は、手に持つ撥で弾くようになり、形や大きさも変わったと説明されています。初めはその時代に流行した歌の伴奏に使われ、やがて三味線のための歌曲や、物語を語る音楽が生まれました。

伝来は16世紀ごろという幅で捉えます。年表の出発点に一つの年を置いても、材料、形、弾き方が同時に切り替わったとは確かめられません。中国から琉球を経た道筋や伝来年代の議論は、成立後の音楽の変化とは分けて考える必要があります。

17世紀 座敷の音楽と出版された手引き

江戸時代には、上方の地唄が座敷などで演奏され、箏や胡弓との合奏も発達します。歌と三味線を一人で受け持つだけでなく、異なる楽器を組み合わせる音楽が育ちました。現在の地唄でも、同じ曲を三絃同士や箏などの編成で演奏します。

寛文4年(1664)には、中村宗三の『糸竹初心集』が刊行されています。江戸東京博物館が公開する後巻には、三味線の調弦や弾き方を説明する文章が見られます。楽器の知識を本にして伝えた例として、年を挙げられる資料です。ただし、この本の刊行年を、三味線や楽譜が初めて生まれた年とすることはできません。

1684年 竹本座と人形浄瑠璃

貞享元年(1684)、初代竹本義太夫が大坂に竹本座を開きました。義太夫節は、人形芝居とともに発達した浄瑠璃です。ここでの三味線は、太夫の言葉に添うとともに、人物の気持ちや場面の変化を音で表す役割を担います。

現在の義太夫節では太棹を用い、太夫一人と三味線弾き一人を基本として演奏します。この演奏の仕組みを知ると、「劇場に三味線が入った」とは、単に客席が広くなったことだけではないと分かります。声と音で物語を進める役割が育ったのです。なお、1684年は開座の年であり、現在の太棹の仕様がその年に完成したという記録ではありません。

18世紀前半 歌舞伎舞踊の長唄が発達する

江戸の長唄は、歌舞伎舞踊の伴奏として発達しました。日本芸術文化振興会の解説では、長唄という音楽名が使われ始めるのは宝永期(1704〜1711)ごろ、現在の長唄の基盤ができるのは享保期(1716〜1736)ごろとされています。名前の使用と音楽の成立には、別々の時間幅があります。

長唄は、踊りに伴う歌や上方の歌に加え、浄瑠璃や能の詞章・旋律などを取り入れました。現在は唄方、三味線方、囃子方が役割を分け、三味線には細棹を使います。義太夫節と比べると、同じ劇場の音楽でも、演奏者の分担と三味線の役割が異なることが分かります。

19世紀前半 芝居を離れて聴く曲も作られる

文化・文政期(1804〜1830)ごろには、長唄で、歌舞伎を伴わずに音楽として鑑賞するための曲が作られるようになりました。劇場で育った音楽が、演奏そのものを聴く場へも広がった変化です。

同じ頃の三味線音楽を、一つの新しいジャンルだけで代表させることはできません。地唄の室内での合奏、劇場の音楽、座敷での浄瑠璃などが併存していました。年表で後に出てくる音楽が、それまでの音楽をすべて置き換えたわけではありません。

明治から昭和初期 演奏を支える制度と編成が変わる

明治政府による当道座の廃止は、地唄箏曲を職業として伝える仕組みの変化でした。女性や晴眼者も専門家として活躍するようになり、合奏では尺八が加わることが増えます。これは「それ以前に女性は演奏しなかった」という意味ではありません。江戸時代にも、家庭の習い事などとして女性が演奏していました。

大正から昭和初期には、西洋音楽の要素を取り入れ、日本の楽器で新しい編成や形式を試みる「新日本音楽」が生まれます。こうした動きは邦楽全体に関わります。三味線だけの発明年や、すべての流派が一斉に変わった時期として読むのは適切ではありません。

20世紀後半 津軽の独奏と新しい作品が広がる

津軽地方の民謡伴奏は、即興的な演奏を加えながら独奏へ展開しました。洗足学園音楽大学の教材は、1960年代ごろに「津軽三味線」と呼ばれるようになり、1970年代には高橋竹山らの東京での独演会が注目されたと説明しています。ここでいう年代は、民謡伴奏の始まりや、最初の奏者の誕生を示すものではありません。

独奏の発達とともに、太棹を使い、撥で皮を打つ音を生かす演奏が広がりました。現在の独奏を聴くときも、唄を伴う演奏と比べると、前奏から独立した部分と、唄を支える働きの両方を捉えられます。

同じ20世紀後半には、古典のジャンルを越えた「現代邦楽」の創作も広がりました。伝統音楽の演奏家や西洋音楽の作曲家が曲を作り、声を伴わない器楽曲や、異なる楽器を組み合わせる作品も演奏されます。三味線の歴史は、古典を受け継ぐ活動と新作を作る活動が並行する歴史でもあります。

1966年以降 上演と養成に加え資料公開が進む

1966年11月、国立劇場が開場しました。邦楽を含む伝統芸能を上演する拠点となり、その後、1975年には竹本研修、1999年には長唄研修が始まります。演奏を舞台で見せることと、次の演奏者を育てることが、公的な事業として行われてきました。

2002年には文化デジタルライブラリーの配信が始まります。現在は、公演記録や教材をオンラインで調べられます。古い本の画像を図書館・博物館で探す方法と合わせ、演奏、記録、解説を行き来する入口が増えました。なお、初代国立劇場は2023年10月に閉場しているため、1966年の開場記録を現在の来場案内として使わないようにします。

楽器の変化は音楽と一緒に見る

この年表で年を区切りやすいのは、本の刊行、劇場の開場、研修の開始です。棹の太さや撥、演奏法の変化は、同じように一つの年へまとめられません。今の細棹、太棹などの違いを過去へそのまま当てはめず、当時の資料が何を示すかを確かめます。

年表を読んだ後は、気になった時代の音楽を一つ選んでみてください。たとえば義太夫節なら語りと音の応答、長唄なら歌と舞踊、津軽三味線なら唄の伴奏と独奏を比べます。演奏する場と音楽の役割が分かると、年代の並びを実際の音につなげられます。

参考資料

江戸時代の広がりと近代の変化は、日本芸術文化振興会の多彩な音楽の共存、近代社会の音楽の模索と創造を参照しています。各音楽の年代と特徴は、同会の義太夫節、長唄、地歌で確認できます。

1664年の資料は江戸東京博物館の糸竹初心集 後。近現代の音楽は洗足学園音楽大学の津軽三味線と日本芸術文化振興会の現代邦楽、劇場の事業は同会の沿革と劇場を知るに基づきます。