口三味線(くちじゃみせん)は、三味線の音楽を声で表す方法です。「ドン」「トン」「テン」といった言葉に、旋律の高さやリズムだけでなく、音色や音を出す動きも含めて伝えます。楽器の音を聴き、声で返し、手の動きと結び付けて覚えるときに用います。
ここでは、松永鉄九郎さんの「三味線のしおり」と、東京藝術大学「アジアの楽器図鑑」にある長唄の例を中心に説明します。言い方にはジャンルや伝える人による違いがあるため、稽古では自分の先生や教材の声を基準にします。
音の高さが同じでも言葉が変わる
松永鉄九郎さんの教材では、一の糸の開放弦を撥で弾く音を「ドン」、撥でスクイにする音を「ロン」と表します。同じ糸の開放弦なので、押さえる場所を変えて音の高さを替える例ではありません。弾き方が変わり、音色が変わるため、言葉も変わります。
この違いをすべて「同じ高さの音」として覚えると、どこで撥の使い方を変えるのかが抜けてしまいます。「ドン」と「ロン」の違いを声と動きに結び付けると、同じ糸でも違う鳴らし方をすることが分かります。
音色は、同じ高さの音でも、鳴り始めや響き方などによって違って聞こえる性質です。口三味線の言葉は、その違いを思い出す手掛かりになります。ただし文字だけを読んで、音の強さや撥の角度まで一つに決めるものではありません。
ドンとトンとテンから糸の違いを聴く
「アジアの楽器図鑑」の長唄教材は、一の糸の開放弦を「ドン」、二の糸を「トン」、三の糸を「テン」として紹介しています。同じページに、それぞれの短い動画への入口があります。初めてなら一つずつ開き、文字と楽器の音を対応させて聴けます。
まず一つの見本を聴いてから、同じ言葉で声を返します。次の音を急いで足すより、見本の音が始まるところ、続く長さ、終わるところを確かめます。文字が二つあるから二拍、というように文字数だけで時間を決めることはしません。
三つの言葉を覚えたら、見本の順序を確かめて「ドン、トン、テン」と声でたどってみます。ここでの三語は、糸の対応を確かめるために並べた例です。特定の曲の旋律や、各語の長さを指定した譜面ではありません。
短い応答で声と音と動きを結ぶ
次は、先生と行う場合を想定した独自の練習例です。実際の稽古を引用した会話ではありません。一の糸の開放弦を弾く動きとスクイをすでに習い、先生がこの二つを「ドン」「ロン」と呼ぶ場合に限って使います。
先生が「ドン」と唱え、対応する一音を弾きます。学ぶ人はその声を「ドン」と返してから、同じ糸を習った弾き方で鳴らします。次に先生が「ロン」と唱えてスクイを示し、学ぶ人は「ロン」と返してから、習ったスクイで応答します。
この応答で変えるのは、声の言葉と、音を出す撥の動きです。どちらも一の糸の開放弦のままにして、別の糸や勘所を加えません。声を返す段階と楽器で返す段階を分けると、言葉を取り違えたのか、動作を取り違えたのかを確かめられます。
声は返せても楽器で両方とも普通に打ってしまったなら、次に見るのはスクイに切り替える箇所です。反対に、手の動きは区別できても呼び方が混ざるなら、先生の声と一音をもう一度組にして聴きます。新しい奏法を文章だけで覚えるための課題ではありません。
一語だけでは勘所や動作が決まらないこともある
口三味線の言葉を、固定された音名の表に置き換えることはできません。たとえば採用した長唄教材の「チン」は三の糸を押さえた音を指しますが、その一語から、いつも同じ勘所番号だとは決められません。実際の旋律の高さ、前後の音、譜面や手の動きを一緒に確かめます。
また、松永鉄九郎さんの表では、スクイとはじきが同じ欄にまとめられています。同じ言葉が聞こえたときに、右手でスクイをするのか左手でハジキをするのかは、言葉一つだけで区別できない場合があります。声が動作を伝える手掛かりになることと、すべての動作を一語で指定できることは別です。
譜面を使う稽古なら、口三味線で短いまとまりを唱えた後、その部分の糸・勘所・奏法の印へ戻ります。声で覚えた順序と、譜面に書かれた動きが対応しているかを見ます。どちらか一方の情報だけで、もう一方を全部補おうとしない読み方です。
短いまとまりの呼び名にもなる
口三味線は、一音ずつの違いを表すだけでなく、習った旋律のまとまりを呼び出す言葉にもなります。長唄の稽古を観察した研究では、先生が口三味線で特定の部分を指し、続く音や指遣いへ導く場面が記録されています。
自分の課題でも、短い部分を一度聴いて声で唱え、そのあと対応する箇所を譜面で確かめる、という使い方ができます。長い曲を初めから全部覚えようとせず、「どこからどこまでを一組にするか」を見本と合わせます。同じような言葉が繰り返される場合は、何回目か、次に何が続くかも区別します。
言い方の違いは習う教材の中で確かめる
「一の糸なら、必ずドン」と全ジャンルへ広げることはできません。鈴木創さんの生田流宮城派の地歌の説明には、一の糸の開放弦を「トン」とする例があります。長唄のここで採用した例とは言い方が異なりますが、それだけでどちらかを誤りとは判断できません。
新しい先生や教材で言葉が違ったら、その言葉が指している糸、開放か押さえた音か、弾き方を一緒に確かめます。自分のメモには教材名と先生の言い方を残すと、別の資料の表を混ぜずに見直せます。
発音も、カタカナから一律の口の形や舌の位置を作るより、実際の見本を聞いて返します。文字は見本を思い出す補助として使い、音の長さやつながりは声と演奏で確かめます。
公式教材を使って声から演奏へ戻る
一人で試す場合は、「アジアの楽器図鑑」の長唄の口三味線ページで、一音の項目を選ぶところから始められます。同じページの「さくら」には口三味線と演奏の入口が別々にあるので、短い範囲を声でたどった後、楽器の演奏へ戻って対応する箇所を探せます。
確認したいのは、唱えた言葉の順序、音を出す位置、習った動作との対応です。声で言えるようになったことと、楽器で弾けるようになったことは分けて確かめます。声だけの練習で手の使い方まで習得したとせず、楽器を持つときには既習の短い部分へ戻りましょう。
参考資料
音色と奏法を伝える役割、およびドンとロンの例は、長唄三味線方の松永鉄九郎 三味線のしおり 唱歌を参照しました。
一音ごとの教材と「さくら」の入口は、東京藝術大学のアジアの楽器図鑑 長唄の口三味線にあります。動きの項目は同図鑑の長唄のひきかたから辿れます。
ジャンルによる呼び方の実例は、鈴木創 お三味線の楽譜の読み方を参照しました。稽古中の使われ方は、名塩征史同時演奏を基調とする三味線の稽古場面のマルチモーダル分析の長唄の観察事例を参考にしています。